2006年10月26日(木)
        ジジの音楽武者修行
     
      スクールーオーケストラと そのヴァリエーション
                
               
一通の手紙と
                      自戒の念 
そして・・・〜
                                              
NO 73

国営昭和記念公園にて(立川)

古民家の夕暮れ(岐阜)

コスモス(Cosmos)は秋桜、オオハルシャギクとも言う。秋に桃色・白・赤などの花を咲かせる。品種改良により黄色・オレンジなどの色も作りだされている。
原産地はメキシコの高原地帯。18世紀末にスペインマドリードの植物園に送られ、コスモスと名づけられた。日本には明治20年頃に渡来したといわれている。
                  〜花言葉は少女の純真〜

約2年近くの準備の末、1978年5月に第4回ウィーン青少年音楽祭参加のためのお披露目の記念コンサートを東京郵便貯金ホール(東京・芝)で開催した。同年7月4日〜16日の期間は、コンペティションをはじめ、オーストリアORF放送局・ウィーンムジークフェライン等での演奏を終え帰国。
8月には縁が深かった長野市民会館でメンコンとドボ8の演奏が実質の解団記念コンサート(ラストコンサート)になった。涙を流しながら演奏している者もいた・・・・・・・。このメンバーで演奏するのも最後かという思いが渦巻き、ラストにふさわしい熱く感動的な演奏ができた。

そして、団員達は様々な思いを胸にオケ漬けの生活から開放され、ようやく普通の生活に戻っていった。ジジもその年度末に転勤した。

新年度がはじまって間もない頃の話しである。
千葉県某市より”ウィーン派遣団を当市の記念行事で是非演奏をお願いしたい・・・・”と要請があった。派遣団の演奏活動は帰国後もズート続いていると思われていたようだった。

解団してすでに半年以上たった話し。結構厳しい話しである。ラストコンサートを機に演奏を止めた者も結構いる。ましてや急な話し。果たして何人が参加してくれるだろうか・・・。でも一方、”是非やりたい・・・・もう一度、あのウィーンの感動を・・・・などとB型のジジらしく、勝手に期待をするところもあったが・・・。悩んだ結果、その旨を全員に呼びかけることにした。

実際に蓋を開けた。色々な事情があって残念です・・・スミマセン・・・が多かった。やむ終えない話しである。返事が無い者も数名いたが・・・・。即 OKの返事をくれたのが17名。それでもお互いに声をかけ合ってどうにか30名近くまで集まってくれた。その30名に現勤務校の吹奏楽部員の選抜とエキストラをお願いしてどうにか2管編成にして、その任は終わることができたが・・・・。

その時のやり取りの中でとっても心を痛めたことがあった。
それは、参加呼びかけの返信の一通にある。”・・・・どうして演奏しなければならないのか!!”という内容があったこと。この内容について本人と直接話しはしなかったが・・・・・・。

”もしかして、自分の音楽教育の方向に間違いがあったのではないか・・・!!。余りにも、勝利至上主義できたことの弊害ではないだろうか・・。”優勝したい・・・しなければ・・・。という気持が強すぎた。もしかして、そのために感謝の気持ちなどといった心を育てることを置き去りにしてきたのではないか・・・などと大変悩んだ。
ただ、ひたすら無手勝流による月月火水木金金の超ハードな練習。これを”好し・・!”として信じてきたジジ。それが・・・・・・・。

今までの自分の音楽教育のやり方について真剣に悩んだ。しばらくは、途方にくれ、挫折の日々を送ることになった。
でも、このことがキッカケで新たな活動をはじめることになっていくのである。

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