2007年3月31日(土)
        ジジの音楽武者修行
     
      スクールーオーケストラと そのヴァリエーション
                    
常任指揮者退任にあたって          
                                              
NO 87

八甲田山も6メートルの雪壁のルートがようやく開通したとか。公民館前の桜も脹らみはじめました。
公民館に遊びにくる子どもたちの様子も随分様変わりをしました。

 寿音楽団の常任指揮者を退任することになった。学校現場一筋で、しかも強烈な教師指導型でやりぬいてきたジジ。
 それが、4年前の3月31日に学校現場から卒業し4月1日から公民館勤務となった。そこでの担当の一つが寿音楽団の常任指揮者。団員の平均年齢74・3歳。メンバーは24〜5名で男性は一人。館長から”コーラス担当の先生です・・・と紹介された。コーラスというからにはハーモニー?????。
 手始めに”ふるさと”を斉唱で歌うことにした。出だしの”・・・”でビックリ。ビブラートというか大波小波状態・・・・・。コーラスとは”歌”の総称であることは直ぐに分った。
 大波小波合唱団員と一緒に童謡やわらべ歌をたくさん歌った。時にはハーモニカや大正琴・キーボード・鍵盤ハーモニカ・大太鼓・タンバリンを加えてコーラス奏もした。

 「もみじ」の輪唱や「花」の二部合唱もできた。団扇に動物の切り絵を張りそれを左右に振りながら「青い山脈」を元気に歌った。「ふるさと」を歌い、楽員一人一人のふるさとの思い出を話し出すと”・・・もう  どうにも止まらない・・・・”。
 「赤い鳥小鳥」「どじょっこふなっこ」などでは”なんと分りやすい詩だね・・・。「里の秋」になると突然演歌調になってしまう男性ボーカリストのSさん。「花嫁人形」では5番まで歌詞の解釈をシッカリ教えていただいた。「森の小人」ではテンポを少しアップし、踊りながら楽しく歌った・・・・・・・。
 どの曲にしても、一様で出だしとテンポは大体揃えるが、後は、それぞれが自分の感情で自由に歌うのである。そこに生まれる節は不思議に調和しとても心地良いのである。
先輩から歌詞の解釈を聴く度に、ジジが知らなかったことも多い。また、曲への思い出を青春時代?と重ねた熱い想いを感じる事も度々。
 
そんな訳で、寿音楽団ではジジの無手勝流など全く通用しない。現場のころの”プライド??一様声楽専攻)など全くない。一緒に歌っているジジ自身を妙に不思議に思うほど。全く無防備な状態。現職を知っている仲間がそんなジジをみると”・・・どうしたの??? ・・・”と思うに違いない。

それから4年が経った。先日、お別れの花見に上野にいった。花はチョット寂しかったが・・・・・。不忍池弁天堂の近くで昼食。その後、急な階段を登り上野文化会館近くで一休み。そこで登場したのが大正琴の名手であるNさん(?歳 大蔵省勤務経験者)。みんなが好んで歌った曲を歌集にしてもってきていた。車座になってNさんのリードで歌い始める。プログラムの最後は”仰げば尊し”。三番までシッカリ歌った。帰りはジジの都合により京成上野駅改札口まで送った。多少足が不自由な方もおられるが何度も振り返り、手を振りながら姿が見えなくなるまで見送った。

 大先輩の皆さんと音楽を通してゆったりと時を過ごせたことの幸せと感謝の気持で一杯である。音楽教師で本当に良かったとつくづく思っているジジである。

            
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